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偉大なる芭蕉⑤ [国語]

第二芸術論というものがあったそうな。有名な桑原武夫によるもので、

俳句などはとうてい芸術とはいえず、せいぜい「第二芸術」というべきだ

という意見。たしかに多くの俳句は、平凡なものが多いかもしれない。

だが、芭蕉の俳句は、超一流の芸術とよぶに値するだろう。


偉大なる芭蕉④ [国語]

このたびはたただ伊賀忍者だと思っていた芭蕉の思わぬ一面を知った。汗顔のいたり・・・[ふらふら]

さて、俳句にしろ和歌にしろ、実際に作品鑑賞となれば時代背景や作者の心情などはわかるはずもなく、作品の文字のみで解釈すべきだ。だから、読み手のレベルや解釈しだいでいかようにもなる。

私も昔、国語の過去問で、次のような文章を読んだことがある。上の句は忘れたが

ここにも一人 〇〇〇

だったか?月夜の晩に自分と同じような(志の)人間を見たというのが一般的な解釈。だが、人によっては、そうではなくて、月に向かって自分を差して「ここにも一人」と名乗り出たという解釈も可能なのだ。もちろん、後者のほうがはるかに遠大なスケールを感じる。

さて、万葉集などをただの歌集としてみれば、ただの恋愛の歌や風景描写の歌と解してもいっこうにかまわない。だが、なぜ、これらが長い間焚書として隠し続けられたのか?ある日は「読み人しらず」などとされるのか?

万葉集は単なる芸術としての歌ではなく、歴史的資料として解釈すべきものだ。高句麗・百済が滅ぼされ倭国が壊滅の危機の時代に、のんびり恋歌を歌っているわけがないだろう!

芭蕉の俳句が字面だけでは到底、その真意を測りがたいのと同じはないか。


偉大なる芭蕉③ [国語]

『去来抄』の中の一句。

柴の戸や 錠のさされて 冬の月

芭蕉の江戸の門人の句である。彼からの添え状には、下の句の推敲の依頼があった。「冬の月」がよいかあるいは「霜の月」がよいか?

その場では、芭蕉も「どちらもでもよいだろう」とした。だが、後日、芭蕉から門人の去来へ手紙が来た。それには、あの冠(第一句)は「柴の戸や」ではない!「此の木戸や」の間違いだ!・・・・。

確かに、江戸時代には門限になると閉まる木戸というものがありましたわなぁ~。つまり此木という2字を1字のだと勘違いして読んでしまったわけです。

そして、芭蕉は、いやはや大変な俳句だ!印刷に回す前にすぐに版木を修正するようにと依頼した。では、なぜこの俳句がそんなに素晴らしい大作なのか?これを読んだ去来は前回(下京や・・・)と違って、直ちに芭蕉の意をくみ取ったという。

もし、「柴の戸」ならばどうか。これはただ、友人の家を訪ねたら、柴の戸の玄関がしまっていたというつまらない句でしかない。だが「この木戸」ならば、門限で帰宅できなくなった江戸の町人あるはいは農民の姿ではないか?と私は思ったのだが、これもまたやはり、それほどの大作ではない。

実は芭蕉が劇賞したのは、この木戸を江戸城の門の木戸と解したからなのだ。もちろん、当の作者がどう考えていたかは不明だが。これが江戸城の門の木戸となれば、これはやはり「あら海や・・・」と同じ、当時の権力VS庶民の図式となる。江戸城から閉め出された、あるいは入城できなかった人。彼らの上には、永遠に変わらない不易の象徴である月がある。それに対した幕府=江戸城内の人々とは流行である一時の権力にすぎない。

このように解釈したからこそ、芭蕉は「版木を打ち壊せ!」とまで命令したのだった。


偉大なる芭蕉② [国語]

芭蕉の精神は「不易と流行」であらわされるという。さきの天の川の俳句でいえば、不易とは天の川であり、流行とは罪人・朝敵という言葉に代表される時の権力を差す。もちろん、芭蕉にとっての真実は「不易」の側にあったろう。

京都で句会。門弟の一人が下の句をもって現れた。

〇〇〇〇〇 雪積む上の 夜の雨

この句の第一句(冠という)を考えるのが句会の仕事。皆が試案を出したが、どうにも定まらない。最後に芭蕉が

下京(しもきょう)や

という句をだし、「もしこれ以上の冠があったら、もう二度と俳句は語らない!」とまで言い放った。だが、門弟たちは誰もが、その真意を量りかねたようだ。確かに悪い冠ではないが、それ以上によい冠もいくらでもありそうだったからだ。だが、この句を絞りだした芭蕉にはやはり、深い意味があった・・・と古田先生は看破された。

古田先生は30歳台半ばから京都住んだ。そして、今日は北の上京区という高級街と昔の被差別のなごりのある下京区があることを知った。私の地域(新潟)は、そういう差別部落はほとんどないし、あったとしても一般的に聞いたこともない。まあ、実際は多少なりともあるそうだが。だが、関西のそれは相当なものときく。

だから、この句は貧民階層・労働者階級の俳句であってこそ意味がある。上流階級にとっての俳句ならほとんど意味がない。雪や雨となれば、明日の生活にかかわる労働者。飯にもありつけないかもしれない。だからこそ芭蕉は、この冠(下京や)以外はあり得ない!と断言したのだ。つまり、弱者の側に立った視点がなければ、俳句など意味がないということなんや。

現代の上から目線の狭量な右翼コメンテーターとは正反対の立場である。


偉大なる芭蕉① [国語]

芭蕉といえば、今まではただの忍者だろうという印象しかなかった。つまり、奥の細道は全国視察のためのスパイ活動であり、俳句はあくまでも隠れ蓑だという認識。私の地元、新潟で残した

あら海や 佐渡に横たふ あまの川

という句は有名だが、私は天の川を見たことないので、なんとうらやましい。全天にかかる天の川というのは漫画でしか見たことない。いくら目を凝らしても銀河は見えませんなぁ~。だが、先日図書館で借りてきた古田先生の本の巻末を読んで、芭蕉の高い精神に触れることができ、感動した。現在の日本に欠けているものを示唆していると思う。ちなみに私の母の実家は佐渡である。

まず、この句を詠んだ背景が文章として残っている。学校の授業ではそんなもの習わない!芭蕉が自ら書いた「銀河の序」という一文。現代語で書くとその大意は

「この島は黄金が豊富で、めでたい島であるが古来より朝敵や罪人が流される場所として不名誉な汚名を着せられている。これはあまりにも残念、無念であり、涙があふれて袂(たもと)を絞れるほどだ・・・」

うーん、この文章を読まずして、この句は語れませんよ!ここでは「荒海」は海の波(なみ)を連想させるが、「芭蕉の涙(なみだ)」を掛けているとも思える。古来、この島に流された罪人・朝敵の中にもあらぬ疑いを掛けられた無念の人もいたであろう。また、政治的な敗者もいたであろう。そのことを思うと芭蕉の「魂は削られ、腸(はらわた)はちぎれんばかり」だった。

さらに、私のイメージでは、佐渡の上に平行に銀河が横たわっているものと思っていたが、そうではなくて本土と島を結ぶ橋のように銀河が垂直にわたっていることらしい。銀河が見えない私には、銀河の向きが解らなかった!確かに、天の川は牽牛と織女の逢瀬のために一年に一度かかる橋を連想させるものだから、この句の天の川は、無念の島流しにされた人々を本土に渡すためにかかった天上の橋がわりなのだ。

となると、この句はまことに崇高な理念・思想を土台にした俳句であり、まさに芸術といえる。まさか、芭蕉がこれほどの人物とは思いもしなかった。幕府の上忍(位が上の忍者)であった芭蕉が、権力の虚しさをよくわかっていた人物であることがよくわかる。

なお、その後、門人たちに書いた「銀河の序」は何度か書きかえられ、「腸ちぎれ」とかいう過激な権力批判の語句はカットされた。幕府の目を恐れてのものだろう。とにかく、この句は、夜景と銀河の美しさを歌ったものではなく、深い悲しみと憤りを書いたものだった。


松島や [国語]

今朝のNHKで奥の細道的番組をやっていた。今日は松島。

芭蕉の歌で有名な景勝地だが、私は見たことがない。ただ、テレビの画面やサザエさんの主題歌の時にでる風景などを見る限り、どこがそんなにきれいやねん!という感想しかなかった。別に新潟の海岸だって似たようなところはいくらでもあると思いますからね。

でも、芭蕉があれほど感動したのには理由があったようです。

テレビの解説によると、松島は極楽浄土と考えられていたのです。当時は、極楽を「待つ島」としても有名だったとのこと。また、女性は極楽へいけないと考えられていたのですが、松島だけは例外だったとのこと。

なるほど、そういう背景があればこそ、芭蕉の俳句も理解できます。残念ながら、そういったことを学校でも参考書でもいっさい学べなかったのが残念です。

この国の教育レベルは低すぎる。


読めなかった・・・ [国語]

今朝の女人天下で、パンブサ(判部事)が言ったセリフ

進退維谷ではないか!

シンタイイコク・・・って何だ?と思ったのですが、調べたらこれ、実は

進退、これ極まる・・・というおなじみの熟語でした。(もちろん、朝鮮語では単純に音読みします。)あらぁ~、こんな漢字だとは初めて知りましたよ。しかし、なんで維がコレと読まれるのか?サイトで検索しましたが、文法説明は見つけることができませんでした。どのサイトもいいかげんだな~。

一応、漢字の維だけ調べたら、(文のリズムを整える)強調の意味でコレと読む場合があるようです。なんでも明治維新の維新もそのパターンだそうです。しかし、そんな意味は漢文でも習いませんでしたなぁ~。

私は、三国志の姜維のファンなので、よけい気になりましたね。維という字は、イトヘン+鳥なのでもともとは筋という意味(維管束)だと思いますが、そこから国家の大本とか、繋ぎとめる(維持)という意味にもなったようです。


センター試験初日(国語) [国語]

一日36レースの馬券検討を終えた疲れきった頭で、今年のセンター試験に取り組むことになった。

こちらは、競馬と違って頭脳の回転スピードを競う競技だといえる。さて、最近の国語の問題はけっこう面白い話が多かったのだが、今年の問題どれもすっげーつまんなかった!

1論説、2小説、ともに、なんともつまらない話題。いったい、この時期になんでこんな題材なのか理解に苦しむ。まあ、しいてあげれば、1の論説が『人間は自己意識の存在が、集団全体の破壊を招く特異な生物』・・・ということで、昨年の原発利権問題への皮肉になっているのかな?・・・といった程度だなぁ~。ほんと、あいつらのせいで、東北が崩壊してしまったんですからね。因みに、魚などの集団の場合は、個別個体の行動が集団の安全を脅かすことはないからね。

小説は有名な小説家の井伏鱒二の『たま虫を見る』であったが、ちょっと面白みも含蓄も無いよなぁ~。

3の古文は江戸時代末期の話。東北の粋人が、都に出て書道の道を究めようと決意して旅出つ。しかし、コネもツテもないので途方に暮れていると、殿中の人が感心して、紹介してくれたのでラッキー。だが、国にもどった後は、防人に徴兵されて家屋敷を売り、家族も人に頼んで見てもうらことになったという。

これも、面白みにかける話ですなぁ~。

4の漢文は、有名なトンポーロー。美味しんぼの最初の頃に出てきましたね。そのトンポーローさんが、無実の罪から左遷され、やがてその罪が許されて都へ戻るときに、自分を裁いた裁判官に出会い、イソップ童話のような逸話をして皮肉る話。

まあ、これが唯一、楽しめたけど、いまいちパンチの効いていないお話でしたね。多分、(ファン)と慚惶(ざんこう、恥じて恐れ入ることの意)の(ファン)の掛詞(シャレ)なんですわね。

地獄の閻魔さまが、人を殺したヘビを裁こうとする。しかし、ヘビが言うには、『あっしは確かにたくさん人を殺しましたが、私のキモには黄(ファン)があって薬になります。もっと多くの人を助けましたよ。だから助けてください』という。裁判官たちも、『なるほどお~』と納得して無罪となる。

今度は人を突き殺した牛が引きずり出される。だが、牛もヘビと同じで黄があるので、人のためになりましたといって無罪を要求する。そして、これも無罪となる。

最後に、本当の人間が引きずり出される。ところが、こいつもヘビと牛の真似をして『私にもファンがあります、たすけてください』という。閻魔さまはあまりのずうずうしさに怒って、『お前は人であろう、いったい何の黄があるんだ!』と言い、まわりの裁判官たちも次々に罪人を質問ぜめにした。

さて、罪人は悶え苦しみながら、言う。『へい、あっしには、確かに黄はございやせん。ただ、いくばくかの慚惶(ファン)がありますんで・・・』

・・・お後がよろしいようで。

 

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センター国語は受験生へのメッセージ [国語]

今朝は、昨日の国語をやってみた。古文で思わぬ不覚を2問やってしまった以外は全問正解。やはり、『出口の国語』で鍛えた手法は素晴らしい!

国語の試験には正解は一つしかない!・・・のだ。確かに、個人で読書する分には、何をどうか考えようが自由なのだが(良心の自由は憲法で保障されている)、ひとたびテストとなった場合には、課題となった文章に書いてあることだけが唯一のルールブックなのだ。ゆえに、本文に書かれていることだけを選択肢から選べば、必ず正解にたどり着くという論理ゲームなのだ。

国語の試験というのは、日本語の試験ではなく論理学の試験であるのだ。

今回は、例年にくらべて論説・小説ともにとても分かりやすい文章であった。古文も鎌倉時代のものなのでほとんど現代語とかわらない。しかも源氏の義朝(頼朝・義経のオヤジ)の話なので誰もがなじみのある話。漢文も孔子の話なので、平易なものであった。

私のやり方は、まず漢文⇒古文とこなして、残った時間で現代文をやる。なぜなら、いきなり最初の論説から入って苦戦した場合、大幅な時間をくってしまうので大焦りで、漢文・古文に取り組むことになってしまうからだ。

さて、その漢文は『遜』『敏』についてがテーマ。もちろん、現代語でいう謙遜と敏捷・敏感(あるいは敏い)の意味とは多少違うのだろうと思われる。特に、『敏』の方の意味が、ちょっと不明だ。よってここがポイントになる。昔、殷王の武丁が傅説(ふえつ)に問うた答えからの引用だとういう。

もちろん、漢文だから正確な意味は分からない。だが、設問の選択肢から敏=進んで学ぼうとすること・・・ということが分かる。そして、本文の前段では、くだんの傅説(ふえつ)は、『謙遜』と『敏』はどちらも大切だと述べている。(二者は固より、偏廃すべからざる也

後段では、時代は下り孔子と門弟の話となる。いわく、孔子は大聖人ではあるが、自らは『私は生まれながらに道を知っていたわけではないよ』と言って謙遜している。そして『昔のことを好んで、敏にしてして追求したんだよ』と。他日、弟子の顔回らが自分たちは『敏』ではないと言って謙遜している。しかしながら、彼らの仁や孝の徳が他の三千の弟子たちの中でぬきんでいたことは誰も知っている。どうして彼らが『敏』でなかったと言えるだろうか?(いや、言えはしまい。)

筆者の意図としては、、『遜』と『敏』ともに大切だが、特に『敏』=自ら積極的に学ぼうとする気持ちが重要だ・・・と言っていることがわかる。よって本文における『敏』は、敏捷とか敏感という意味ではないことがわかる。つまり、これはハングリー精神のことを言っているわけだ。

ハングリー精神というと、よく貧乏精神だと勘違って使われているのだが、イチローは貧乏だろうか?そうではないのだ。貧乏だからガッツや根性があるわけではない。自分はまだまだと思う向上心、飽くなき欲求心のことこそ本当のハングリー精神なのだ。

 

 

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月に兔はいなかった [国語]

月野ウサギはセーラームーン。[三日月]月の黒い部分をどう見ても、とうていウサギには見えませんが[わーい(嬉しい顔)]、昔から月にウサギがいるといわれてきました。しかも、杵(きね)を持ってモチをついているらしい。

今回、この謎が解けましたぁ!

月(moon)は、百済語でウサグ、新羅語でトキ(⇒つき)・・・というのだそうです。トキのほうは、現在、時間(とき)の意味でも用いられていますね。

奈良時代以前までは、日本各地の言語はたくさんあって通訳を何度も通す必要があった、つまり通訳のバトンリレーが必要だったと日本書紀にも書いてあるそうです。しかしながら、庶民の言葉とは違って、少なくとも支配者層の言葉は大同小異であったそうです。なぜなら、日本書紀のほとんどを通じて百済人が何の問題もなく朝廷の人々と会話していたんですからね。

現在の日本語にアイヌ語の単語がほとんど残っていないのは、アメリカ語にインディアンの単語がほとんどない状況に似ている。縄文人が使っていたのは、カラ語(昔の伽耶地方、韓国南端部)というべき南方系の言語であった。だが、カラ語はほとんど消滅した。アイヌ語はむしろ、インディアンの言葉に近い。朝鮮半島ではほとんど死滅。北海道のように孤立した地域がないからだ。

日本語の単語の比較が難しかったのは、百済語、新羅語が混ざり合っていたのが主な原因である。

京都方面の言葉は百済語(朝廷語)に、東言葉は新羅語に似ている。今話題の、善徳女王の国、新羅は後進国なのでガラが悪い。[わーい(嬉しい顔)]花郎(ファラン)のような武骨者を生んだのも、武士道的な背景があったからだそうだ。そのかわり、文化度は低いが戦争は強かった?朝廷と鎌倉幕府の関係に似ている。


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